六十年以上昔になるが、私がまだ中学生だったとき、漢文の授業で「刻舟求剣」という寓話を知った。
呂氏春秋という古い本に出てくる短い話だ。『楚の人で長江を舟で渡る者がいた。その剣が川に落ちた。すると舟端に
目印を刻んで「わしの剣が落ちたのはここだ」と言った。やがて舟が岸に着いた。彼は舟端の目印から剣を探したが、
見つからなかった。』これは自分の狭い経験にこだわる愚かしさを嘲笑する話である。
この話は私の記憶の底に沈んだが、いつごろからか違う考え方をするようになった。私たちは生きていくうえで色々な
出来事に出逢う。その節目で、自分の大事なものを得たり失くしたりすることが多い。そんなとき、無意識のうちに、
この寓話の主人公に似て、自分の狭い経験にこだわるふるまいを重ねているのではないか。そうだとすれば、この主人
公を自分と無縁な愚かしい人物として嘲笑することは、到底できない。 (本文より)
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