2006年8月18日付の日本経済新聞夕刊コラム「プロムナード」に、坂東眞砂子による衝撃的なコラムが掲載された。タイトルは「子猫殺し」。このコラムをめぐり、おもにネット上では、猫好きの人々による坂東バッシングが一斉に起こった。 本書は、「子猫殺し」の議論を中途半端な状態で終わらせてはならない、という著者と出版社の意向でつくられた。人も獣も含めて、この世に生を受けた生き物が「生きる」こと、そして「死ぬ」こととは、どういうことか。また、「子猫殺し」バッシングとはいったい何だったのか。このふたつの問題について、2006年の騒動を検証することによりあきらかにする。
一般的かつ表層的な報道からは読み取れないような、多様な「視点」と「事実」を読者に提供をする。思い切った変貌を遂げようとする日本の「罪と罰」をめぐるシステムや社会環境。それらを読み解き、対立する議論を整理し、同時代を生きる私たちが考えなければならないことを提供すること。それが本書の目的である。
対話の相手は、芹沢一也(社会学者)、松江哲明(ドキュメンタリー監督)、 郷田マモラ(漫画家)、宮台真司(社会学者)。
「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」 赤木智弘の衝撃的な論考が、月刊誌「論座」2007月1月号に掲載された。 説教するなら、職をくれ! ひっそりと「声を押し殺して生きる若者」たち。その当事者のひとりが声をあげた。 その声が、行き詰まる若者の姿を、私たちの目に見えるようにした功績は大きい。 「論座」に掲載されたふたつの論文のほかは、すべて書き下ろしで構成。 赤木智弘。32歳、フリーター。希望は、戦争。衝撃のデビュー作。
本書は、「生き生き」とした言説を徹底批判した『デリダの遺言』の続編である。アドルノ、ベンヤミン、アーレント、デリダ、ハイデガー、フーコー、マルクス、ニーチェ、ラカン、スローターダイク。10人の知の巨人が登場する。 彼らは、「生き生き」とした言葉に対して、どのような警鐘を鳴らしてきたのか。「生き生き」とした思想の中から、どのように思想の死相を読み取り、語ってきたのか。思想が死相にひんする現代日本の状況に、彼らの「死の思想」は何を語りかけるのか。日本の思想は、死相から甦ることができるのか。 現代思想研究の最先端を走る仲正昌樹が、10人の知の巨人の思想をコンパクトに解説しつつ、彼らのテクストにひそむ「死の思想」を探る。
本書は、いじめを緻密かつ理論的に分析した国内唯一の書『いじめの社会理論』の著者で、いじめ研究の第一人者である内藤朝雄が、学校のみならず職場や社会でのいじめや人びとが抱く憎悪のメカニズムを考察した待望の新刊。 本書の目玉は、ふたつの対談である。まず、『「ニート」って言うな!』の共著者である本田由紀との対談では、マスコミで取り上げられる若者論と実社会に生きる若者像のギャップに関する深い議論がおこなわれる。また、宮台真司との対談では、職場におけるおとなのいじめ問題について激論がかわされ、望ましい社会の在り方が両者から提案される。 もう一度、問う。若者は、なぜ排除されるのか。おとな社会のいじめは、どうなっているのか。憎悪の連鎖は断ち切れるのか。これらのタイムリーかつ普遍性のある問題について、いま内藤が語りつくす!
「ジェンダーフリー」が性差をなくす? 伝統文化を破壊する? 過剰な性教育? なんでも男女混合? 豪華執筆陣が、デマやバッシングを分析しつつ、「男女平等」の未来を描きなおす。 そろそろバックラッシュなんかやめて、ネクストステージに向かって歩こうよ。 すべて書き下ろし& 語り下ろしで双風舎がお届けする快心の一冊。
制服の歴史から、在日の歴史が見える! 朝鮮学校の制服は、なぜチマ・チョゴリなのか? 政治的に語るだけでは、けっして見えてこない制服誕生の史実を、歴史の検証と当事者への聞き取りによってあきらかにする。日本で初めての本格的なチマ・チョゴリ制服の研究書。 版元品切
「わかりやすい言葉」や「生きた言葉」で書かれた哲学書や思想書が多く出回っている昨今。とはいえ、安易にその「わかりやすさ」や「生き生き感」を信用してしまっていいのか。哲学や現代思想には、「語りきれない」ものが絶えず含まれるのではないか。 それが、デリダによる「音声中心主義批判」の本質ではなかったのか? 著者は、そういった問題意識から、まず個人的体験に即しつつ、「生き生き」とした言葉がどういう場面で、どのように使われているのかを論じる。つづいて、「生き生き」への賛否をめぐる思想史を、フィヒテやゲーテからはじまり、ヘーゲル、マルクス、フッサール、ベンヤミン、デリダらの言説を振り返りながら概観する。 版元品切
不透明で強迫的な社会。参照項なき不自由な時代。中身のない専門知が飛び交うネット空間。現代思想が限界に達するこの時代に、 社会学はその限界を克服する方法を示すことができるのか?価値をまじえずに現実を記述することで、生きづらい若者たちを楽にしてあげたい、と北田はいう。 世直しは時間がかかる。まずは全体性に到達できずに困ってる人を救済したい、と宮台はいう。 世代が異なる明敏なふたつの知性が、社会学の領域を超えて現代社会を徹底分析する。 版元品切
「冷戦 !? なにそれ ?」 と、このタイトルを見た読者の多くが、思うかも知れません。 「もう終わったことじゃん、冷戦なんて」と考える方もいるでしょう。でも、終わっていないのです。 終わったと思っているのは、日本人だけなのかもしれません。 新進気鋭の学者であり、文芸評論家でもある丸川哲史が、戦後日本の小説や映画をとおして、いまだにつづく冷戦の本質を見つめ直し、私たちが東アジアをどのようなまなざしで見るべきなのか、この『冷戦文化論』で説明してくれます。 いまや巷で、コリアンやチャイニーズを見かけないほうが珍しい時代。 だからこそ、冷戦を知り、東アジアを知り、日本を知ろうではありませんか。 とってもポストコロニアルな本です!
「自分で決める」って、どういうことなのでしょうか? 自分で決めていると思っていても、じつは組織や共同体の意向を反映していたりするし、「私」が自分で決めたからという理由で、「国家」が「私」を見捨てることもあったりします。そんな編集者の素朴な疑問を、社会学者・宮台真司さんと社会哲学者・仲正昌樹さんにぶつけてみました。 すると、ふたりの討論は自己決定にはじまり、現代思想、共同体、リベラリズム、ロマン主義、公正と正義、宗教、そしてアイロニーへと、果てしなく膨らんでいきました。 版元品切
解離性同一性障害という病気を知っていますか? すこし前までは、多重人格障害と呼ばれた病気。 家庭崩壊、受験戦争、アルコール依存、そしてセックス依存。 私は壊れた……。 最愛の彼との出会い、菜の花畑、そしてロックンロール。 私は再生した……。 この本は、再生した私から壊れた私に捧ぐ鎮魂歌(レクイエム)。 いまも病と共に生きる女性による赤裸々な手記 私はなぜ多重人格障害になったのか?
なぜ、いま<帝国>なのか?ネグリとハートの『<帝国>』が日本で刊行されてから、1年半がたちました。 同書は、現代社会を考えるための、ある種の「指標になった」ともいえると思います。 ただし、この本の解説や分析をするのは、たいてい哲学や現代思想を専攻する学者さんであり、他の分野の学者たちは、同書をどのように読んでいるのか、私は気になっていました。 そこで、哲学や現代思想「以外」を専門とする7人の社会科学者に、同書を読み解いてもらいたいと考え、この企画を進めました。『<帝国>』が提起した問題や概念は、アメリカによるイラク戦争が泥沼化する現状を考えるうえで、現在も重要な位置をしめていると思われます。
国家としての機能をもちながら、国際社会のなかで、国家として認められない台湾。 いわば「国なき国」に生きる人びとのナショナリズムとは、いったいどんなものなのか。 台湾の現状を、歴史、経済、政治、文化などの面から丁寧に考察しつつ、様々な分野で 活躍する台湾人の発言をとおして台湾におけるナショナリズムの実態を探る。 著者の独自取材にもとづく書き下ろし。
戦争とは何か? 暴力とは何か?思想とは何か? 知識人とは何か? 漂流する社会に生きる私たちは、いま何を考えるべきか? いま注目される二人の論客が現代社会の諸問題にメスを入れる。 姜が宮台を挑発し、宮台が姜を挑発する。 そして二人が日本の知識人を挑発し、読者を挑発する! 都内三カ所の書店でおこなわれたトーク・セッションの記録。 これほどスリリングな対談が、いままであっただろうか?